育児記事:保育園全入時代について考えてみる

働いてなくても、保育園に入れるようにしてほしい!

ただの甘えなのか、切実なSOSなのか、私自身もわかりかねていますが、そう思っている(いた)のは本心です。
私だけかと思ったら、おんなじことを考えているママブロガーさん達の記事がいくつか見つかったので、私も書いてみることにしました。

他の方の記事は、了承とったりがめんどうなのでしませんが、ウーマンエキサイトとか、オールアバウトとかで見つかると思いますよ。
それっぽいワード検索すればきっともっと出てくるはず。。



私は結婚と同時に仕事をやめ、旦那の地元へ引っ越しました。
元々働いていたのは、私の実家に近い東京の会社でした(都内ではないが)。
なので近くに友達もいたし、実家に帰ることもできました。会社は育休産休完備で、育休が終わったら時短で働くつもりでした。

しかし、近隣県ながら地方出身の主人は、結婚するなら地元に帰りたいと言い出しました。
主人も当時は東京の会社に勤めていたので、地元に帰る=私も主人も退職する、ということ。
養う人数が増えるのに、世帯収入減らすの!?と驚いて、私も、私の両親も猛反対しました。

しかし頑固な主人は一度言い出すと、実行して失敗するまで反対意見なぞ耳に入りませんから、それはもう子供のような屁理屈をこね、私の実父の年収を超える(なかなか高給取り)ことを無駄に目標に掲げ、つわりで一人暮らしの私を置いて、さっさと退職&帰ってしまいました。

まあもめましたが、とりあえず主人の家族がいい人たちだったこと、つわりがひどくて言い争う気にならなかった事、シングルマザーでやっていく勇気がなかったので、不安を感じつつも私も退職、主人に一か月遅れて、主人の実家に転がり込みました。

首都圏生まれにはカルチャーショックの多い地方暮らしでしたが、出産まではまあまあうまくやれていました。
でも子供が生まれると、状況が一変します。


①まず、「自分の時間」が取れないストレスがすさまじい!
結局息子が一歳になるまで、自宅でお世話をしていましたが、これがまあいつまでたっても目が離せず。。。というか、新生児の間の方が自分の時間が取れて楽でした。

動けば動くほど、危険のないように常に警戒状態で、ちょっと携帯とかいじってるとたいていこけたり落ちたり物を落としたり。。気が抜けません。

②ちなみに生まれてから一歳過ぎるまではSIDSが怖くて、私は不眠症でした。
自分が眠ってしまったら、その間に息子が死んでしまうのではないか。息子の異変にすぐ気が付かなければと思うと熟睡できず、寝ても息子を死なせてしまう夢ばかり見て、飛び起きては寝ている息子の呼吸を確認していました。

③また、妊娠発覚から続いていた、カフェイン&アルコールの制限もかなりストレス。
もともとのん兵衛で、水代わりにコーヒー飲むほどだったのを、妊娠が分かった日から急に0にしたので、かなりいらいら。
特にコーヒーはどうしてもやめられず、カフェインレスでは物足りず、一日一杯なら大丈夫と聞いて、その一杯を毎日大切に飲んでいました。
当時は出産まで我慢すれば、と思っていましたが、母乳育児なので当然産後も制限が続くわけです。

当たり前のことなんですけど、これには生むまで気が付かず、しかし母乳がでるなら母乳育児の方が息子にはいいだろうと考え、卒乳まで頑張ることに決めました。
コーヒーは我慢できず、離乳食が始まると同時に元の量まで戻ってしまいましたが、アルコールは一年たったころからすっかり抜けて、今では飲みたいとも思いません。
これはいい収穫かな。

④主人の育児不参加にもかなり悩まされました。
私は主人の実家に暮らしているので、主人の両親にある程度見てもらえるので必須ではないのですが、やはり気を使うし、やっぱり主人の子なので面倒を見てもらいたい。
なにより平日や夜間は私が一人で面倒を見ているので、休みの日ぐらい面倒を見てほしい!
と思っていました。
息子が歩き始め、コミュニケーションを取りやすくなった最近こそ、主人も積極的に子供の面倒を見てくれて、一日預かったりしてくれるようになりましたが、それまではあの手この手で逃げ、見ててねといったら眺めているだけのマダオ(まるでダメな夫)でした。

⑤他にもストレスはありましたが、なによりストレスのはけ口がなかったのがトドメでした。
独身の頃は、仕事をしている間にわすれたり、飲みにいって愚痴ったり、ゆっくりお風呂につかったり、いろいろストレスのはけ口もありました。
でも息子が生まれて、知らない土地に引っ越して、それらがすべてできなくなった。
アルコールは飲めないし、息子を置いて出かけられないし、出かけても長時間は無理だし。
主人も主人で、あまり人の悩みを聞いて共感してくれるわけではないので(タイミングにもよりますが)、頼りにならず。
出産した友達もいない。母親も相談相手にはならない。義母が市で助産師としてその名を轟かせているので、保健師さんにも相談しづらかった。


本当に、これら(とさらに細かないろいろ)がずっと積み上がり、息子を保育園に入れる直前まで、今思えば産後鬱だったのだと思います。

眠っている息子の隣で、自殺についていつも調べ、息子を残していくか、一緒にいくかについても考えました。自宅が三階建てだったので、三階のベランダから飛び降りるつもりでしたが、主人の家族に迷惑がかかるし、もしどちらかが生き残ったら、そして障害が残ったらと考えて実行しませんでした。

主人に対してはいつも攻撃的で、感情的でした。だから、主人も私には感情的でした。
息子を軽くビンタしたこともありました。鼻と口をふさいでみたりしたこともありました。
他の人が息子をかわいいと言っても、私には同意できませんでした。

でも、息子が笑ったり、私に手を伸ばしてきたりすると、すごくかわいくて、申し訳なくてよく泣いていました。

本当に、このままだと虐待してしまうか、私が壊れると思って、何度も児童相談所に電話しようと思いましたが、義母の立場を考えると、どうしてもできませんでした。
どうしていいかわからなくて、でも助けてほしくて、定期健診の時に助産師さんにストレスについて相談していましたが、当然何の解決にもならず。。

そこで、私が選んだのが「保育園に預ける」でした。

住んでいる地域には職が少なく、小さい子供のいる私が中々正社員にはなれそうにありません。主人は全国転勤なので、とりあえずパートで、短時間保育の要件を満たす事にしました。

ちょっと各方面無理をして預けていますが、保育園に通い始めたら本当に気持ちが楽になって、息子のことがかわいくて仕方なく思えるようになったし、預けてよかったと思います。
息子も、保育園でいろいろ覚えてすごく成長しているので、本人にとってもよかったのだと思っています。



本来は母親が一人で、家で子供の面倒を見るべき、という価値観があります。私の中にも確かにあって、葛藤する事も多々あります。

でもそれって、誰が決めたんでしょう?
人間は本来、群れで生活する動物です。女性たちは集まって、共同で子育てをしてきたはずです。
保育園のなかった(または一般的ではなかった)戦前戦後、たしかにワンオペで育てたお母さんもいたでしょう。でも、ほとんどは近所のママ友、他の兄弟たちもいっしょに子供の世話をしていたのでは?
いまでも途上国などでは、幼い兄弟の面倒を見ている子供たちの姿をテレビなどでよく見ますよね


子育ては、そもそも一人でするものではないと私は思います。
地域のコミュニティが機能しない現代、働いていなくても保育園に預けられる仕組みが必要だと思います。それほどまでに保育園の枠が確保できれば、きっと少子化も止まるはず。
実際、働かなくても国の補助付きで保育園に入れる仕組みを持つ国もあり、少子化に有効に働いているとも聞きます。

早くそういう日本になればいい。
そして、そうできるために、何ができるか探していくつもりです。

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